49歳にして上場企業に再就職

49歳にして、上場企業に再就職(パートですが)することになった私は、
それまでの自分のフリーの仕事、週末の農業団体の事務に加えて、
4時間×週4日、M市の本社に勤めることになりました。

M市でも異彩を放つ白亜の本社は某有名建築家の作品で、
そこに通うだけでも夢のようで、
誰に話しても驚かれる再就職でした。

仕事内容は商品撮影と画像加工で、
単純作業なのですぐに覚えることができましたが、
仕事中は自分の携帯に出ることもできず、
フリーが長かった私はそれすらも最初は戸惑いました。

加えて東京本社への毎日の業務報告や、
創業当時から会社を支えてきた経理の重鎮(おばさま)が厳しく、
先輩たちも優秀で緊張を強いられる毎日でした。

仕事はマニュアル化されていたので、
程なくひたすら機械のように撮影と画像加工する日々に変わり、
週末開いていた農業団体のお店をきっかけに出来た知人の誘いで、
隣の市で開かれる交流会に出るようになり、
そこでさらに楽しそうなイベント企画に加わることになっていきます。

同時に夢だった仕事場の計画も進めていて、
パートが終わるといそいそと打ち合わせに出掛けていました。
それ以外は事務局で週末の店のための発注や、
ノスタルジックな廃校を借りて運営していました。)
自分のデザイン仕事などをこなす日々。

これにイレギュラーでイベントの会議が夜から入り始めました。
行きはまだ良いのですが、
帰りは夜中に高速道路で帰ってくることになり、
これが泣きが入るほど怖かったのでした。

私は狭い道路や一般道では問題なく車を運転できるのですが、
夜の高速道路は道がどちらに曲がっているかがわからなくなってしまい、
極端に恐怖感を覚えるのです。
これ、息子のWISC(ウェクスラー式知能検査)にも表れていた、
「ワーキングメモリーの小ささ」が影響しているように、
今は思えてなりません。

イベントの主力は20~30代の若者で、
皆仕事を終えてから三々五々集まるのですが、
地域の学級委員長を集めたかのようにやる気とアイディアに溢れていて、
楽しくてついつい無理を重ねてしまいました。

真冬のイベントに向けて年末はポスターやちらしの作成を担当し、
12/31迄山の分校に籠もる日々。
年明けも荷物を持ち寄ってパンフレットの製作合宿を行いました。
私ががん患者だということはほぼ誰にも知らせていなくて、
もちろん会社にも内緒で就業しています。

怒涛のイベント終了後に受けた定期のPET検査で、
まさかの単発大腸ガンが見つかることになってしまいました。

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