乳がん3年前の前置胎盤と、森下敬一博士の「ガンは血液の浄化装置」

2009年6月に乳がんが発覚する3年前、私は3番目の子供を出産しましたが、以前であれば母子共に助からなかったかもしれない「全前置胎盤」でのお産でした。(超?)高齢出産だったせいもあるかもしれませんが、胎盤が子宮口を完全に塞いでいたため赤ちゃんが自力で出て来ることができず、更にその胎盤が「貫入胎盤」状態で、子宮内壁から剥がれず、無理やり剥がせば出血多量で死に至る状態だったため、帝王切開で出産してから子宮を全摘出するという手術を行い、難を逃れました。事前の超音波検査でその状態がわかっていたため、出産予定日1か月前から入院して手術時の大量出血に備えて自己血を貯血しました。また、収縮しやすい子宮口に胎盤があるため、突然出血する可能性もあるとのことで、本人は痛くもかゆくもないのですが、入院中の移動には車椅子も用いられ、食事もベッド食、というほどの安静ぶりでした。

前置胎盤であるということ以外、赤ちゃんも元気で何も普通のお産と変わらないのに、パンパンのお腹にメスを入れなければいけない…生まれて初めての手術前夜、この時ばかりは逃げ出したくなる程イヤでした。夜食事制限がかかって水しか飲めなくなる中、ベッド横のテレビからイヤホンで聞いたNHK「プロフェッショナル」のテーマ曲を心の支えに、ひとり暗い病室で辛い気持ちに耐えました。(いまでもこの曲を聴くとこの時のことを思い出します)

手術当日は朝一番の手術で、赤ちゃんが眠ってしまうといけないので、帝王切開は部分麻酔です。意識がある中、「始めます。」との執刀医の合図で手術は始まっているにもかかわらず、研修医が担当したルートと呼ばれる点滴針がなかなか血管に刺さらず、「貸しなさい!」と先輩医師が力を込めて左手首に針を刺すシーンも…(これも大学病院ならでは…群大だからか!?)その間にメスが入れられ、少しの間をおいて産声が聞こえました。帝王切開では赤ちゃんの意に反してお腹から出されるため、よくあるのだそうです。お尻を叩いていたかもしれません。

無事に我が子を胸に抱かせてもらった後、感覚のないお腹の方では、なにやらパシュン、パシュン、という音とともに焦げ臭い匂いがします。子宮が収縮する前の出血を、電気メスで焼いて止血しているらしいのです。(普通は子宮が収縮して出産に至るので、これも最小限の筈なのですが。)半身麻酔なので痛くはないのですが音と匂いでリアルにわかってしまいます。
「焦げ臭いですね…」と聞くと、
「眠ろうね、眠ろうね♪」とさすがに全身麻酔を嗅がせてくれて、意識が遠のきました。

まさか子宮の摘出になるとは思っておらず、手術直前の主治医の見立てでは「残せるだろう」とのことだったのですが、この後主治医が手術室前で待機していた主人の所に血だらけの両手で説明に来て、「胎盤が子宮壁に貫入しているため、残念ながら摘出しか方法がない」と説明したとのことでした。(本人は眠っていたので何も知らず。)

この子宮摘出手術の際には2Lもの出血があり、自己血では足りなくなるところを、ぎりぎり他の人の輸血に頼らずに手術を終えて貰えたのでした。(当時まだ血液製剤の問題などがちらほらあったため、事前にその旨、執刀医に頼んでありました。)

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