なぜ乳がんになったのか?

小さい頃から体を動かすのが好きで、
大学まで体育会系で体力には自信のあった私が、
何故がんになったのか。
何がよくなかったのか、私なりに考えてみました。

すると、
ストレス・過労・暴飲暴食・絶望感・自己肯定感の欠如
と、5拍子揃ったそれまでの生活が浮かび上がってきました。

リーマンショック直前に投資を始めた私

乳がんが発覚したのは2009年でしたが、
その1年前、貯金を少しでも増やそうと、
投資信託を始めました。
それはちょうどリーマンショックの起こる2ヶ月ほど前で、
すべての銘柄が順調に右肩上がりの頃でした。

悪いことにFXにまで手を出し始め、
まさにちょうどその時、
わたしはPCの画面で崖から滑落するような
取引画面の価格グラフを目の当たりにしていました。

長年働いて貯めた虎の子の資金で、
なにがあっても減らすことがあってはいけないはずだったのに、
その時の凍りつくような気持ちは、
そのまま身体に毒を盛っているような状態だったと思います。

長男に発達障害が発覚

また、2008年には小学校に上がっていた長男が、
秋の運動会後、担任から呼び出しを受け、
教育委員会から特別支援校の先生が派遣され、
発達障害の疑いがあるので児童精神科を受診して欲しいと依頼されました。
典型的なADHDで、授業中教室を飛び出して校庭を走り回ってしまい、
校長先生に面倒を見てもらっていたとのことで、
専門医に診てもらって確定診断が下りました。

それは家族にとっても、私自身にとっても青天の霹靂で、
特に自分自身が何者であったのか、
子供を通して初めて知ることになったのでした。

子供のことで夫婦間の会話もぶつかることも多くなり、
「だいたいお前がアスペルガーだろ」
とADHD気質の旦那に言われたのが初めてでしたが、
自覚がなかっただけに、大変なショックでした。

長男は特別支援学級に在籍することになり、
月に2回のカウンセリングのための通院も始まりました。

私の乳がんが発覚したのは、
その約半年後でした。

仕事はしていましたが、
3人の子育てに追われ、
八方ふさがりの状態でした。

父の一言が私の人生を支配した

私の父が思えばアスペルガータイプで、
私は長女でしたが、妹が生まれた時、
「なんだ、また女か。」
と母に言い放ったのだそうで、
子供の頃から何度も聞かされて育ちました。
母も辛かったのでしょうが、
それを子供に言う母も母で、
私は自分が男に生まれなかったことを申し訳なく思い、
絶対男勝りに働こうと心に決めていました。

小さい頃から「女の子らしい」ものが嫌いで、
いまだに赤い色が大嫌いです。

元々子供が好きではなかったのですが、
自分は男の子を産まなければいけない、
その一心で、結婚して子をもうけました。
長男が生まれた時は、
「やっと務めを果たせた」と肩の荷が降りたものです。

スピリチュアル系の本に、
「自分の女性性を受け入れられない人、
親子関係に辛いことがあった人は、
乳がんになりやすい」
と書いてあるのを見かけ、
もの凄く納得できる私でした。

自分の人生を生きることができていなかった

乳がんの宣告を受けた時、
すべてのことが、腑に落ちた気がしました。

生まれ育った地より寒い土地に来て、
歳とともに冷えが強くなっていたのに、
それに気づかなかったこと、
昔から乳製品が好きで、酸味の強いものが嫌いだったこと。

仕事は好きだったので、無茶を続けてきたこと。
2徹、3徹夜は当たり前で、
暴飲暴食も日常茶飯事。

すべてなるべくしてなった病だと、
素直に思えました。

また、小さな成功にしがみつき、
根拠のない自信に満ちていた、
傲慢だった自分に気づき、
間違いだったと認めることが出来ました。

すべてを気づき替えて、
「これじゃだめだったんだ」と、
謙虚になれる自分が居ました。

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