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乳がんとスポーツ

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2010年の今頃(正月明け)、私は抗がん剤治療がすべて終わり月末の手術に備えて説明を聞く中で、主治医に聞きました。「テニスは出来るでしょうか?」「もちろんです。」相性の悪い(好きになれない)主治医ではあったが、この時ばかりはその言葉が嬉しかったのを覚えています。

私の乳がんは原発巣よりリンパ節の腫瘍の方が大きくて数も多く、右腋窩には未だに長い手術痕(12cm位)があります。手術直後はブラジャーをつけるなどとんでもない!位に傷跡が痛く、半年くらいはひっそり大人しく生活していましたが、痛みが癒えてくると生来のやんちゃが頭をもたげて来て、「やりたかったことを今やろう」「脂肪を蓄えない様、身体を動かさなきゃ」で、トントン拍子に「陶芸」と「テニス」を同時に始めました。2011年の秋頃だったと思います。

なぜ「陶芸」と「テニス」が同時かというと、探して見つけ出した教室とスクールが、同じ村内にあって同じ日に効率的に通うことができたからです。

テニス(硬式)は中学から大学時代まで10年間、ずっと部活に所属して続けていました。子供を小学生の時に1年だけスクールに通わせたことはありましたが、それ以外ずっとやりたいけれども仕事や家事を優先していて、我慢していました。子供が通ったスクールは国体の県代表だった選手が運営していて、ジュニアの有望選手もいる本格的なスクール。実に25年ぶりのコート復帰でした。

とはいっても所属は初心者と一緒の1時間コース。それまでほとんどスポーツらしいスポーツをしてこなかったので、も〜全然走れません。たった1時間なのに後半は息が上がって、コートに入るのが辛いほど。でも、心配していた右腕はテニスをするのに不自由することはなく、多少はツレがありますが、サーブをする時だけは経験者の片鱗を見せることが出来ました。

だいたい、午前中に陶芸教室に顔を出し、午後の前半にテニススクール。しばし車でぐったりした後、近くの公共温泉で汗を流すのが毎週水曜のパターンになりました。
でもこんな至福の時も、仕事場建設のための再就職で終わりを迎えました。今でも諦めたわけではなく、いつかはまた始めたいと思っています。

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